隣の芝は海

現実はいつも少しだけあとにやってくる

野溝七生子「眉輪」読了。

は、早よ図書館に返さな…(震


アホなので最初は「びりん」と読んでました。

正しくは「まゆわ」なのですね。


タイトル通り、可憐な眉輪王(まゆわのおう)をメインに据えての展開と思いきや、実は…といった感じです。

野溝さんの作品はまだ「山梔」や短編集でしか読んでいないのですが、古墳時代が舞台にも関わらず西洋の、希臘の香りが所々漂う作風・文法はいかにも野溝さんらしいなと思います。


大長谷王子のナルシシズムを含んだ寂寥や、穴の空いた血の坩堝の如く満たされない空漠感は割と共感を呼ぶのではないでしょうか。

*現代でも、と書こうとしましたが例えば昭和40年代に本書があれば当時の読者の方はどう思ったでしょうね。やっぱり共感したのでしょうか?


しかしこうしてブログを始めるにあたり、自分の内部を言語に変換し、外部へ下ろす作業が如何に困難か…

原稿用紙に魂を移すかの如く、その血で物語を綴る語り部達に畏怖の念を感じずにはいられません。


まだまだこの世には読む本がある!モリモリ読むぞ〜!


15ampere